親愛なる友人へ

私が莫干山路50号の彼女のスタジオを最初の訪れたのは2009年の秋のことでした。ドアを開け中に入った。そこには青磁色に輝く水の中を溶け込むように泳ぐ全裸の女性と、咲き誇る睡蓮の花。私の眼はこの絵画に吸い寄せられた。<なんと知的な色合いか。まるでマチスの絵画を見ているようだ。>右側の絵画は、太い線で描かれた躍動するダンスの女性。実にエネルギッシュである。左側の絵画は、彼女に抱き上げられた猫がこちらをじっと見つめている。まるで彼女の守護神であるかのように。私は一瞬にして彼女の絵画の虜になった。これが彼女の絵画の最初の出合いであった。
彼女のスタジオは文化人が集うサロンの様である。しかしこのサロンでは誰も自分の仕事の話はあまりしない。ここでは多様な文化的価値観の話が多い。実に楽しい。やがて会話は、彼女の穏やかで柔らかな上品な話し方に誰もが引き込まれる。実に気遣いが細やかで優しい。このような気遣いが彼女を取り巻く交友関係の多さの由縁である。 しかし彼女のもう一面を支えている性格はまったく違う。好奇心が旺盛で、行動的でパワフル、自分の信念、価値観に沿って行動する心がとても強い人である。
 彼女の絵画の特徴は何と言っても線と色彩にある。線と色彩がエネルギーそのものである。始めに、点は時間を確保し線になる。やがてその線が速度を求め、その速度の変化が加速度を生む。そしてすべての線が空間を蠢くエネルギーとなって現れる。 色彩も同じである。青磁色に輝く水中の深淵で位置エネルギーを保っていたかと思うと、急に赤やピンクの運動エネルギーとなって大気に弾け出す。彼女はそれらのエネルギーの中に自分自身の存在の意味を見つけようともがいているように見える。しかし、私にはこの線や色彩が放つエネルギーにこそ、彼女自身の存在を感じる。
 彼女が主に用いるモチーフには蓮の花と裸体(ヌード)がある。蓮の花のモチーフは、彼女にとって(命)そのものである。蓮はこれから新しく生まれようとする(命のつぼみ)。満開に咲き誇る(命を謳歌する満開の花びら)。種子を残し未来に命を託し(命朽ち果てる蓮の花)。それら全てが流転する命の姿。これこそが生命の輪廻である。 裸体(ヌード)のモチーフはダンスシリーズから始まり、今日いろいろなスタイルに変化している。彼女は基本的な感情を裸体(ヌード)のモチーフを通して表現しようとしているように思われる。 <楽しみ、信頼、恐れ、驚き、悲しみ、嫌悪感、怒り、期待、>彼女の感じる世界をそのままに。たとえば、最近の3作品 <I live in it.> < Leaving and coming >< Where am I >等 以前の作品より彼女の感情がよりクリアーになってきているのを感じる。これからが増々楽しみである。

 

友人   三宅和彦